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石巻市牡鹿半島を訪れて

岡田かおる


3月11日の東日本大震災から8カ月余り経った石巻市を11月26日土曜日に訪れた。私たちが東日本大震災復興支援を考えるにあたり、現地を自分たちの目で見て、感じることを確かめたいと思い、東京の会員でボランティアツアーに参加することにした。佐藤さん、新谷さんと3人で25日金曜日に夜行バスで東京を出発し、25日朝現地に到着、3時近くまで現地で瓦礫撤去の作業をした。旅行会社のバスツアーだったため、現地の住民の方と直接お話をする機会はなかったが、被災地を訪れたことで、被災の状況や復興の現状についてのさまざまな報道をこれまでより、身近に感じるようになった。

 

石巻市牡鹿半島

 

今回訪れたのは、石巻市牡鹿(おしか)半島の南西端に位置する小渕浜。早朝、鮎川浜の牡鹿ボランティアセンターに到着し、小渕浜での瓦礫撤去がボランティアの作業だと知らされ、小渕浜まで再びバスで移動した。道路から20メートルくらい下ったところが今は静かな入り江で、海岸から数十メートル離れると丘 になっている。見回してみると、瓦礫がいたるところに転がっているという状態ではない。

小型のショベルカーが作業をしているが、全体的には落ち着いた様子だ。他のバスツアーの参加者とともに、石巻市ボランティアのスタッフから小渕浜の津波被害についての説明と作業の指示を受けた。

丘の反対側に集落があり、そこの家のほとんどは津波で流されてしまった。それがこちらに流されてきて、津波が何度も行き来するかたちとなった。流されたものすべてがこの入り江にたまり、掻き回される状態になった。家や漁船、多くのものが流され、またたくさんの遺体が発見された。その部位が見つかることもある。作業中、見つけたものが、もし遺体の一部と思われる場合は手を触れず、知らせてください、警察の現場検証が必要となります。

 

道路から見た小渕浜の入り江、左奥が海

 

今、自分が地面に座わり話を聞いているこの場所が、8か月前はどんなに困難を極める状況だったのか、またどれだけの尊い命がここで失われたのか、この状態に戻すまでにどれだけの人の力が必要だったのか、どれだけ多くの人々の悲しみ、悔しさ、無念さが、ここにあるのか、それらを思い、胸が痛んだ。が、おそらく、自分は実際の100分の1も想像できていないのだろうとも思った。

私たちは丘の奥で作業にあたった。行ってみると草地の間に、大きいものでは冷蔵庫、自転車、タイヤ、電気コンセントのついた家の柱、漁業で使う浮き、ロープ、網、小さいものでは木材の切れ端、ビン、ビニール、茶碗、小学校で使う自由帳など、あらゆるものが転がっていた。それらを拾い、木材、金属、プラスティックなど分別して、何箇所かに集積をする。途中、スタッフの方が、きれいなロープはまだ漁に使えるので漁協に持っていくから、捨てないで渡してほしいと声をかけていた。漁は再開できているのだろうか。

1時間の昼の休憩をはさみ、2時半ごろまで作業を続け、3時過ぎにボランティアセンターを出発した。帰りのバスの中で、新谷さんが往きに街道沿いに見かけた学校は体育館の窓ガラスが割れたままになっていたから、授業はしていないようだけど、生徒はどうしているのかしら、と口にした。無事だったのか考えただけで泣けてきそうです、と言う。調べてみると、その学校は、女川街道沿いにある石巻市立女子商業高校だった。ウェブサイトを見ると、22年度までの情報で更新が止まっている。さらに調べると、臨時のホームページをブログ形式で公開していた。現在は1年生、2年生、3年生がそれぞれの学年で3校に分かれて、校舎を借りて授業をしていることがわかった。きっと授業や行事、部活動など、不自由なことも多いだろう。

 

瓦礫撤去作業中の様子

 

今回、現地を一度訪れたことを、今後、復興支援を考えていくきっかけとしたい。新しい年を迎える。被災された方々が未来へ希望が持てることを祈ってやまない。


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